Daily Archives: 2017-01-15


中年期の孤独とSNS

https://www.theguardian.com/commentisfree/2015/jul/14/midlife-lonely-isolated-social-media

40代、50代の人々は孤立感をより感じるとの報告が増えている。ソーシャルメディアは魔法の薬のように見えるが、苦い終わり方をすることがある。

孤独感をより強く感じる人が増加しているという最近の統計分析や報告の中で、最も強い印象があるのは、他のどの年齢層よりも、中年を迎えた人達が孤立感を感じて居ることだ。(英国の)国家統計局によると、45歳から54歳の年代で、7人のうち一人の割合で、孤独感に悩んでいる。

中年期は私たちの可能性と自由が急激に縮小しているように感じる人生の段階だ。そこでは我々の「自分誰なのか」という意識は、多くの人生の側面からの圧力によって制約を感じ易くなる。これは、単に手の運命は私たちを扱ってきましたです。失望と達成感を感じられない仕事、疲れが募る家庭生活、そして私たち自身や家族の健康の不安は逃げ場がないという感覚によりいっそう強く感じられる。単に、自分では何もできない感覚だろう。孤独感をどのようなものかを想像するのは難しいことではない。

中年期に感じるこのような後退感は何も新しいことではないが、国際化が進み、世界とずっとつながっているような消費資本主義の時代には新たな力が必要になる。人々の生活は、心理的、経済的にこれまで以上に不安定だ。安全な将来の保証と思っていた家族、家庭、仕事、そして年金は今では、生活を不確実なものにしている。更に悪く考えるなら、我々は後悔だけの過去と絶望的な未来の間に挟ましているかのように感じるだろう。

このような不安定な状況は、他人と自​​分自身の判断への我々の弱さを良くない方向に導く。中年期の人は、もっと素晴らしいことをできたかもしれないが、結局、希望と理想を叶えることに失敗した姿を鏡の中に見いだす。

この時点で、変わることへの希望は何か?仕事や家族への失望がどのようなものでも、どちらかを諦めることは、いっそう悪く感じるかもしれない。自分の体型、衣服や車、音楽の好みを変えることはできる。しかし、視界の片隅から、若い人々、おそらく10代の自分の子供達の皮肉な嘲笑を感じるだろう。さらに悪いのは、自分自身、同じように感じていることだ。。

ソーシャルメディアは、理想的な薬のように見えるかもしれない。もし日常の現実が煩雑で灰色と感じるようになってきたのなら、オンラインの世界は、あなたがなりたい人を投影し、自己を作り直す機会を与えてくれる。 SNSは、あなたの価値感と人の良さが安定していることを示しながら、あなたの暖かな個性を作り出す。しかし、孤独感を追いやっても、それは直ぐに戻ってくる。理想の「自画像」は結局、防御的な鎧に過ぎず、オンラインでの楽しげで社交的な「自分」と、オフラインの孤独な生活との乖離は自分への失望になる。更に、オンラインでの上辺だけの親しみ易さにひびが入り、逃れようとしていたとても強い孤独感にとらわれてしまう微妙な挑発と直接な感情が戻るのに時間はかからない。肯定と拒絶は表裏一体だ。

もちろん、ソーシャルメディアは、それ自体の中に、またそれが人々に孤独を引き起こすことはない。しかし、SNSは人々が到達しているしっかりした安定さを弱体化させながら、人々が互いにつながっていることを煽る判り易い表現に過ぎない。

精神分析コンサルティングで定期的に聞く言葉は、メッセイジや電子メイルに返信がないこと、自分の更新情報が無視されたことへの不安だ。不安は、現実と仮想のコンタクトとの間に決定的な違いをもたらす。普通の出会いは緩やかな早さで、誰かと一緒にいる言いようのない喜びを生み出す。オンライン通信は、このような親密さを排除する傾向がある。あなたの隣の人の沈黙は、あなたの孤独感を和らげるのに対して、オンライン上の「隣人」の沈黙は、理由の判らない不安が自分の中で増大する。:私が何をした?彼らがもはや私を好きではないのはなぜだ?彼らは今まで私を好きだったのか?

精神分析を理解する一つの方法は、承認を前提としないコンタクトととらえることだ。ある患者は先週、私に言った: “あなたは、あなたが何を考えているかについてあまり気にせずに、私が話すことができる唯一の​​人のように思う”。私の患者からよく聞くように、中年にさしかかると、我々は親しい友人達に聴いて欲しいにもかかわらず、自分たちを親しい友人から遠ざけようとする。

ジークムント・フロイトが精神分析の中立性と表現したのは診察室で感じるような冷淡さではない。それは中立の立場、そして誰かがどんなことでもカウンセラーに伝えたい時にカウンセラーがそこに居ることを感じることができるようにする意思。精神分析医DWウィニコットは、誰かと一緒にいるこの方法は、孤立感とは異なる、「一人で居られる力」を培うとしている。ロマンチックな詩人が「孤独」と呼ぶものに近い。それは、母親が常に居ることを意識する、小さな子供の頃の感覚に根ざしている。その感覚は、小さな子供が、たとえ一人の時でも誰かが居ることを感じさせる。誰かの存在を感じるこの感覚は、我々が他者に頼ることが悪いことではない、と感じられるようになる心理的な道筋だ。

中年期には、この内側から感じる安寧感は、疑問と不安によって消えていく。現代の消費文化と競争の文化はその感覚を更に弱める。我々が、他者への未熟な希望という不安定な基盤の上に関係を構築する限り、親密さの質よりも、「好き」という量をもとに関係を築く限り、中年にさしかかって感じる孤独感が軽くなることはない。